命題
2004年4月7日朝眠りにつき、昼起きた。よくないサイクルだ。最近は?勉強道具が多い?公訴時効(250条3号)が成立していない?移動時間がもったいないという理由から家で勉強している。といってもこんなところ(マンキ)で日記をつける時間がそもそも無駄な時間か・・・。しかし、これが今の僕の唯一の息抜きだ。夜に親父を迎えに中州に行く。最近の僕の仕事は家族のドライバーだ。同僚の人を送って帰宅。今日はあまり勉強していない。
「大切なものは失って初めて気づく」という命題は多くの人が口にし誰しもが耳にしていることだろう。しかし、この命題は本当に真だろうか。真だとすればなぜもっと多くの人が大切なものを失わずに済むことが出来ないのだろうか。そこで、「大学受験で彼女との時間をたくさん過ごした」という例を挙げて考えてみる。この場合受験に合格すれば問題はない。しかし、不合格となった場合はどうか。彼女と過ごした時間も勉強の時間に回せばよかった、あの「時間」は大切だったと考えるのではないだろうか。合格した場合は、彼女と過ごした時間は彼女との時間という意味では大切だが、受験勉強にとっては大切な時間ではなかった。しかし、不合格の場合はその「時間」が大切になる。つまり、大切な何かが先にあるのではなく「対価」を得られないということによって大切なものが作り出されている。よって「大切なものは失って初めて気づく」というときの「大切なもの」とは、何かを得ることが出来なかったことによって作り出された事象に過ぎず、「何かを得ることが出来ないことによって大切な何かが生まれ、そしてそれは取り戻せない」という命題のほうが正しいと思う。
とここまで書いてみてこれが議論のすり替えであることに気づいた。親の有難みを例に考えると分かる。「大切なものは失って初めて気づく」という命題はあくまで気づくか気づかないかという問題だからだ。まあ、結局結論はあの有名な「淮南子」の故事に辿り着く。人間万事塞翁が馬。自分の信じる道を必死に進むのが一番よいのだろう。息抜き終わり。
「大切なものは失って初めて気づく」という命題は多くの人が口にし誰しもが耳にしていることだろう。しかし、この命題は本当に真だろうか。真だとすればなぜもっと多くの人が大切なものを失わずに済むことが出来ないのだろうか。そこで、「大学受験で彼女との時間をたくさん過ごした」という例を挙げて考えてみる。この場合受験に合格すれば問題はない。しかし、不合格となった場合はどうか。彼女と過ごした時間も勉強の時間に回せばよかった、あの「時間」は大切だったと考えるのではないだろうか。合格した場合は、彼女と過ごした時間は彼女との時間という意味では大切だが、受験勉強にとっては大切な時間ではなかった。しかし、不合格の場合はその「時間」が大切になる。つまり、大切な何かが先にあるのではなく「対価」を得られないということによって大切なものが作り出されている。よって「大切なものは失って初めて気づく」というときの「大切なもの」とは、何かを得ることが出来なかったことによって作り出された事象に過ぎず、「何かを得ることが出来ないことによって大切な何かが生まれ、そしてそれは取り戻せない」という命題のほうが正しいと思う。
とここまで書いてみてこれが議論のすり替えであることに気づいた。親の有難みを例に考えると分かる。「大切なものは失って初めて気づく」という命題はあくまで気づくか気づかないかという問題だからだ。まあ、結局結論はあの有名な「淮南子」の故事に辿り着く。人間万事塞翁が馬。自分の信じる道を必死に進むのが一番よいのだろう。息抜き終わり。
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